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伏見宮文秀尼
落葉山 登れば高し 晴れ渡る 空に有馬の 富士は見えける
有馬史を読む会や協力者の方々のおかげで、「有馬百人一首」の中に入れていただきました。
伏見宮文秀尼(1844年 - 1926年)
江戸時代末期から明治時代・大正時代の皇族で、僧侶、書家。
伏見宮邦家親王と女房木村世牟子の間に邦家親王の第7女子として生まれる。
嘉永2年(1849年)、圓照寺の門跡を相続し、嘉永4年(1851年)、満7歳の時に落飾。
万延元年(1861年)、孝明天皇の養女となる。
明治6年(1873年)に伏見宮に復帰。
大正14年(1925年)頃から持病のリウマチが悪化し、大正15年(1926年)2月10日に感冒を発症した後、同年2月15日午前10時に薨去した。2月23日に葬儀が圓照寺で執り行われた。