〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町1685-1
本堂までの参道には、昭和初期に建立された西国三十三箇所巡りの石仏があります。西国三十三箇所は、第65代天皇の花山天皇(在位:984年〜986年)が巡礼し、大きな法力を身につけたという観音霊場です。
観音霊場は近畿地方と岐阜県にあり、この西国三十三箇所の観音菩薩を巡礼礼拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされています。
「西国三十三箇所の観音菩薩に巡礼したいけれど、遠くてなかなか行けないから、近くに同じような霊場が欲しい」という要望を受け、作られたものです。
諸神堂には、明治時代に御影の浜に現れた巨大な亀の剥製があります。漁師30人がかりで引き上げた亀は、その後剥製になり、大阪の商人の応接間に飾ってありました。しかし、その会社の経営が悪くなり、「有馬の妙見さんに祀っていただいたら」と持ち込まれたものです。その後、亀の剥製を奉納した会社の経営も好転し、豊かになったとのことで、開運・商売繁盛のご利益がある亀として祀られています。
伏見宮文秀尼
落葉山 登れば高し 晴れ渡る 空に有馬の 富士は見えける
有馬史を読む会や協力者の方々のおかげで、「有馬百人一首」の中に入れていただきました。
伏見宮文秀尼(1844年 - 1926年)
江戸時代末期から明治時代・大正時代の皇族で、僧侶、書家。
伏見宮邦家親王と女房木村世牟子の間に邦家親王の第7女子として生まれる。
嘉永2年(1849年)、圓照寺の門跡を相続し、嘉永4年(1851年)、満7歳の時に落飾。
万延元年(1861年)、孝明天皇の養女となる。
明治6年(1873年)に伏見宮に復帰。
大正14年(1925年)頃から持病のリウマチが悪化し、大正15年(1926年)2月10日に感冒を発症した後、同年2月15日午前10時に薨去した。2月23日に葬儀が圓照寺で執り行われた。